2020年8月20日
手術から半年
2月20日に手術を受け、今日で半年が経ちました。
最初に血痰が出たのが昨年の10月20日ですので、それから数えると既に10か月が経過していることになります。あと2ヶ月でもう血痰から一年経つのかと思うと、その時間の早さにびっくりです。
思えば血痰の発覚から手術までは、精神的にも辛い時期がありましたし、自分にとっては試練でした。
人生で一番「死」というものについて考えた時期でもありますし、一日一日の大切さを改めて思い知った日々でもあります。辛かったですけれど、今こうして振り返ると、本当に貴重な時間です。
そして手術という選択をし、無事に乗り切ってからは、あとは全てプラスに動いていったといいますか、じょじょに元の生活に戻っていくという流れに、自然に乗っかっていったような、そんな感じがします。
僕の場合は肺に見つかった腫瘍が、幸いにも手術の結果良性だったとわかりました。これが悪性で癌だった場合には、抗がん剤の治療もあったでしょうし、再発の怖れも考えなければいけなかったので、今ほど順調ではなかったと思います。良性だったが故に、肺の切除部分も少なく、回復も早かったというのは間違いなくあると思います。
術後半年経った現在では、僕の生活はもう、完全に元通りです。
ごくまれに、手術の傷や、その少し下の肋間神経が少しだけ痛むことはありますけれど、気にするほどのものでもありません。
日常生活にも全く支障はありません。
術後に少し低下した体力もすぐ戻りましたし、今では毎日軽い運動もしていますが、特に問題は感じません。
半年前に手術をしたことが、信じらないくらいです。
唯一手術をしたことを思い出させてくれるのが、お風呂に入るときに鏡に映る、三ヶ所の手術の痕を見たときです。
忘れないこと
手術後に書いたこちらのブログで、僕は何度も「手術のことを忘れたくない」と書きました。
時間とともに記憶が薄れ、思い出すことも少なくなっていく中で、手術自体のことはもちろん、その前後の辛かったことや考えたこと、それらの全てをしっかりと覚えておきたかったんです。
しかし半年経った現在、元通りの日常を過ごせるようになってしまうと、どうしても思い出すことが少なくなるんです。
「人間は忘れる生き物である」といいますからね。これはどうしようもないことなのかもしれませんけれど。
手術に際し僕は、家族、親族、友人たちから、本当に温かい気持ちをたくさん頂きました。御守りもたくさんもらい、入院中はベッドの枕元に掛けておいて、たくさんのパワーをもらいました。
その御守りたちは、退院した今でも自宅の僕のベッドの枕元に置いてあります。
この御守りたちを見るたびに、手術のことや、入院中の病院の中の様子、窓からの景色など、色んなことを思い出します。
そして、そのときの気持ちを忘れないようにして、一日一日を大切に生きていかねば、と思うんです。
毎日のことに追われていますと、ついついそんな意識はどこかへ遠くへ行ってしまうんですけどね。たまにでもいいので、思い出すことが大切な気がします。
また、僕は半年前の入院や手術を経て、自分の健康、体力、老後など、そういうものに対しても、以前よりちゃんと考えるようにはなりました。まだまだ足りていない部分もたくさんありますけれど、明らかに自分の中で、少し意識は変わりました。
僕の場合は腫瘍が良性だったことや、命に関わることではなかったこと、そういう結果だったからこそ言えることなのかもしれませんが、手術や入院という貴重な体験を、自分の糧にしないといかんと思うんです。
自分のためにも誰かのためにも、必ずや活かせるような、そんな経験になっていればいいなと。
まだまだ未熟者ではありますが、そんな生き方ができる人間になりたいです。
とかかっこいいことを書きつつ、この10秒後には忘れていそうな自分が怖いです。