肺がんじゃなかったブログ

40代で肺に腫瘍が見つかった男性の日記です。

死について考える。

2019年11月19日~11月23日

自分が死ぬということ

死というものは、誰にでも訪れるものであり、避けられないものです。

そんなことはよ~くわかっているのですが、僕は今まで自分の死について、そこまで真剣に向き合ったことがありません。

もちろん自分の死、大事な人の死など、死というものについて考えたことは多々あります。しかし、リアルに「自分が死ぬ」ということを、そこまで深く考えたことがないんです。

大病を患ったこともありません。大きな事故に遭ったこともありません。自殺を考えたこともありません。

そういう意味では、ある意味でとても恵まれた人生を歩んできたんだと思います。

しかしこのたび、肺に「何か」あるのが見つかってしまい、自分の中で「癌」を強く意識するようになり、それと同時に「死」を身近なものとして考えるようになりました。

いつかは死ぬのはわかっています。でもそれは、まだまだ遠い先だと、ジジイになってからだと、今までは漠然とそう思っていました。ところが、そんなに先ではなく、もう目の前にあるかもしれないぞ、と急にそんな現実を突きつけられた感じです。

俺、ジジイになれないかも。

まだまだこれから普通に続いていくと思った毎日が、急に確証のないものへと変わります。

嫁と二人、のんびりと暮らしている幸せな毎日が、もうなくなってしまうかもしれない。

まだ親孝行も全然できていないのに、両親よりも先に自分がいなくなるかもしれない。

可愛い甥っ子や姪っ子たちの成長を、もう見られないかもしれない。

友人たちとも、もう美味い酒が飲めなくなるかもしれない。

やりたいと思っていたことが、全てもうできなくなる。

そして、自分がいなくなり、残された人たちのことも考えます。

嫁は一人になってしまうんだな。

両親も寂しいだろうな。

そんなことを考えていると、自然と涙が出てきてしまいます。

来年の今頃は自分はここにいないかもしれないと、真剣にそんなことを考えたのは初めてでした。

 

癌を意識してしまう理由

この時期、死について深刻に考えたりもしていましたが、そもそも僕はまだ、癌と診断されたわけではありません。余命宣告されたわけでもありません。

改めてそれを踏まえると、ある意味で滑稽でもあるんですけどね。

しかしながら自分の中で、癌ではないかと強く思ってしまうには、いくつか理由がありました。

僕は母方の祖父母を二人とも肺がんで亡くしています。まだ僕が生まれたばかりの頃なので記憶はありませんが、二人とも死因は肺がんなんです。祖父が喫煙者だったみたいです。

そして母がCOPD(肺気腫)を患っていることが、数年前に発覚しました。母は喫煙歴が一切ないにも関わらずです。

さらには僕も、僕の二つ下の弟も、小児喘息でした。

つまりそれらから、母方の家系的には、肺や気管支が何かしらの病気になる率が高いと。遺伝の問題など僕は別に詳しくはありませんが、遺伝的にそうなのではないかと、どうしても思ってしまうんです。

にも関わらずです。

僕は10代後半から40歳くらいまで、長年ずっと愛煙家でした。タバコ大好きでした。

祖父母の肺がんがあるので、いつか辞めないと自分も肺がんになるかもな~、とはなんとなく思ったりはしましたが、なかなか辞められず。

43歳となった現在は、既に無事に禁煙に成功していますが、今回の血痰騒動は、僕にとって「ついにきたか」という思いもあったんです。

これは長年の喫煙がもたらした結果だと。

 

死は悪いものではない

自分の中で勝手に肺がんになったものと思い、死を意識し、不安定になる毎日。

そんな自分を救うため、自己防衛だとは思うのですが、僕は死を前向きなものとして捉え始めます。

僕には、若くして亡くなってしまった友人が何人かいます。また、大好きだった祖母や、親戚のおじちゃんなど、今はこの世にいない、大切な人たちも。

もし僕が死んだら、そんな皆に会えるんです。

そう思えば、死というものが少しは楽しみになってきます。笑

さらには年老いて一人ぼっちで死ぬよりは、自分の大切な人たちに囲まれて、若いうちに死ぬというのは、ある意味でとても幸せなのでは?と思い始めたり。

残された側にとっては、とっても寂しい話かと思うのですが、死ぬ側の我儘としては、そういう解釈もありではないかと。

そう考えると、今死ぬってのも別にそんなに悪くはないんじゃないか?と、だんだんそういう思考が芽生えてきます。

しかしです。

今の僕を心配してくれて、毎回病院にも付き添ってくれて、そばにいてくれる嫁の姿を見ますと…。

嫁を一人残して寂しい思いをさせるわけにはいかんと。

僕たち夫婦には子供がいません。ですので、二人で生きていこうと、そう決めて一緒になった夫婦なんです。それなのに、こんなに早く僕だけいなくなるのは、やっぱりまだ早過ぎます。

そして嫁だけではなく、僕に先立たれた両親の姿を思い浮かべると、それもいかんと。

完全に死が確定したら、受け入れるの大事なことになるのかもしれませんが、まだ今の何もはっきりしていない段階で受け入れるのは、さすがに早いだろ。

またまだやりたいこともたくさんあるし、行きたいところもたくさんある。

なんで死を受け入れてるんだ俺は。

そう思うと、じょじょに気持ちが前向きなものへと変わり始めました。